2026/07/26 17:15
え〜と、今どうなってるんでしたっけ?と言いたくなるほど政治が混乱していますね。とりあえず国会は閉会したんでしたっけ。とにかくファシズムに大幅に、今までとは次元の違う速度で沈み込んだ、とだけは分かります。
何度もこのブログで書いているけど、驚かない。あれだけ議席をとったのだから、やりたい事は殆どできるだろう。それはこの国の国民が選んだ事でもある。他国のカルト宗教団体と癒着した政治集団に自分や子どもの未来を任せて平気な国民には、それに相応しい社会と未来が待っているだろうと思います。
でも絶望はしたく無いので、できる事を続けます。願わくば抗う人が増えます様に。
さて、今週も本の紹介です。
「ファシズムの教室 なぜ集団は暴走するのか」田野大輔

名著「ナチスは良いこともしたのか」の著者の1人、田野大輔さんの著書。ナチの行った政治、その政治下での人々の意識から始まり、なんと大学で、ファシズム的なクラス(教授を「総統」という名称にしたり)を作り、ファシズムを体験するという授業を行った記録と考察。(もちろん、「デブリーフィング」という振り返りをする事でファシズム体験の持つ危険性を回避している)
その授業の様子や生徒の感想も非常に興味深く、自分がその場にいてもやはりファシズムに高揚するであろうと思い恐ろしくなりました。又、日本社会においてはかなりファシズム的な装置が日常に共存している事も改めて理解できました。
そして最も自分が影響を受けたのが、ファシズムと自由の関係についてです。ファシズム、という言葉で連想されるのは、暴力と監視に支配された恐怖政治や、カリスマ的なリーダーの独裁、プロパガンダに踊らされた民衆…などでは無いでしょうか。
自分も長らくその様なイメージがあったのですが、最新の研究ではファシズムには一種の「魅力」…、「自由」の体験がある、とされています。その自由こそ、「責任からの自由」であり、その解放感を求めて民衆は自らファシズムに協力していった、との見方が提示されています。
これは今の日本の社会状況を見ると、驚くほど抵抗なく理解できます。排外主義を煽るヘイトデモへの参加者は皆「普通の人」に見えますが、彼らの表情は解放感に満ちていました。
高市政権の危険性を伝えず、日本中で起きている反・高市デモを報道しないメディアも、それにより受益があると思われます。停波発言もありましたし。
現状を認識しながら沈黙を貫く人々も、やはり高市政権に批判的な立場を表明しない事で得られる「責任からの自由」を享受している、という事なのだろうと思います。
音楽とファシズムの関係を考察してきたこのブログに沿った感想としては、音楽カルチャーの「物語」に参加する事で得られる自由の感覚、それは正に「責任からの自由」であると思います。本来、何らかの抑圧から逃れる為に作り上げた価値観が、どうした捻れかファシズムに接続している。
この辺りの言語化に非常に興味を持って取り組んでいます。次回も本の紹介にします。ラストかな。CD発売中。