2026/06/28 11:16
なんと2週間空いてしまいました。まあこんな社会状況においては個人のブログが1週間空こうが2週間空こうがもはやどーでも良い様な気もします。と、腐りそうになる気持ちを乗り越える為にも、ベラベラと言葉を並べて多少はスッキリしたいと思います。
ここ数週間で一体日本はどこまでファシズムに突入したのでしょうか。具体的に言えばどの様な法案が成立、或いは衆議院を通過、はたまた提出されたのでしょうか。濁流の様なスピード感のせいかあまり思い出せません。国家情報局は成立、個人情報保護法改正案は衆院通過、国民投票法改正案や国旗損壊罪も衆院通過。議員定数削減は提出されるのか…?みたいな所だった様な。
これらは現在の普通でない政治状況を普通でないと捉え、何とかこれ以上のファシズム化を止めたい人々…今デモに参加したりネット上で発信している人々に聞けば分かるかもですが、恐らくその人々は全体の数%に過ぎないのでは。殆どの人はそんな事に興味も無く「普通」に暮らしている様に思います。
無関心層、なんてよく聞きますが個人的にはそんな一言で片付けられるものではなく、顕微鏡でよく見ればそこにファシズムのエコシステムの様な多様性が発見できる筈だと思います。その中の、音楽カルチャーの役割を暫くに渡り考察していた訳ですが。
遠回りしましたが今回もその考察の参考になった本の紹介になります。と言っても実物は持っておらずweb上で公開されているものです。
実録・レイシストをしばき隊
野間易通 著
この本は本当に面白く、刺激的で勉強になりました。路上でのヘイトスピーチに対抗する「カウンター」と呼ばれる行動の成立の歴史を追体験できます。又、当時(2013年頃)の路上で如何に醜悪なヘイトスピーチが垂れ流されていたのかを知りドン引きします。カウンター行動とレイシストのヘイトスピーチは往々にして「どっちもどっち」と評されますが実際にはそんな事はありません。それが理論として実践として記されたこの本は、「どっちもどっち」の様な価値相対主義が内面化された社会に暮らす私達にとって必読です。かく言う私もこの本を読んで以降、カウンターにちょいちょい参加する様になりました。
さて、この本は2部に分かれており、1部が上記の様な路上の記録なのですが、2部の方が又すごい。一体なぜ日本がこの様なヘイト状況になっているか、その潮流をカルチャー(サブカル)の方面から辿っています。
もうめちゃくちゃマニアックなんですが、語り口の妙か割とスラスラ頭に入ってきます。特に95年頃の描写は、その頃中学生になり近所の本屋に入り浸っていた頃の記憶が呼び起こされます。「あ〜、確かにそんな本が平積みされていたな」みたいに。そんな本、とは所謂「鬼畜系」と呼ばれる類の本ですが。
著者の野間易通氏は「鬼畜系」こそ現在のヘイトスピーチの源流ではないかと提起します。正義も悪も人間が勝手に作っただけでそんなものは無いのだ…というポストモダンの価値相対主義の果てに生まれた鬼畜系周辺の言語は、確かに現在のネトウヨや冷笑者からも発せられている様に思います。妙な耳馴染みがあると言うか。
そして更に言えばこれはネトウヨだとかの分かりやすいファシストのみに関係する話でも無く、所謂サイレントマジョリティで且つ音楽というサブカルの領域にいた自分の意識にも関係が深いと直感しました。特に
『根本的に重要で、かつ問題なのは「等価」というコンセプトである』…の部分。
現在の音楽カルチャーを含めたサブカルが共有する価値観として仮定した「物語」の、正義も悪も無い、右も左も無い…などは全てこの「等価」に扱うコンセプトを内包していると思います。「等価」にする事で、本来は構造的な問題をフラットにし、民主主義の責任を不可視化する。
例えば、とあるイベントで唯1人がGAZAでの虐殺を訴えても、共演者や観客は「皆それぞれ最高でした!」と等価にする。それによって世紀の虐殺を目撃している同時代人としての責任が不可視化される…の様に。
まるで、恐ろしい姿をした恐竜の進化の果てが可愛らしい小鳥であるかの様に、鬼畜系のポストモダン的相対化が、「みんな違ってみんないい」の様なホッコリした姿に進化してこの社会に生き残っている…。そんな印象を抱きました。
長くなりましたがこの辺で。次回も本の紹介にするつもりです。CD発売中です。