2026/05/24 09:42

ナフサ不足の影響がエラい事になってきましたね。これはこの戦争の初期から言われていた事なので自分も3月くらいから備蓄を少しずつしているのですが、正直焼け石に水でしょう。ここから更に酷くなり実生活に深刻な影響が出始めた時は、個人の備蓄でなんとかなる期間での収束は無いと思います。高市がイランと交渉するだとか辞任するだとかしないと。


ただでさえ円安などで円の価値がゴミの様になり、失言で中国との関係を悪化させ経済的大ダメージを受けている中で益々と国民生活を圧迫する様な政治を行う…。ワザとか?と思ってしまいます。統一教会の教義を考えればそれもあり得るのが恐ろしい。てか俺ら何で他国のカルト教団と癒着した政府の下で暮らしてるんすかね。頭おかしくなりそう。


そんな政府が今何をやっているかと言えば、異常な軍拡や改憲の推進やお子様ランチの旗がどうとか。狂気を感じざるを得ない。このままだとホルムズ海峡封鎖の影響による食料飢餓さえ懸念されているのに。本当にどうなってしまうんでしょうか。この時代にアホカルト極右に政治のイニシアチブ握られてるのヤバすぎる。ってか握らせてるのが国民自身ってのも情けない。


あぁ、愚痴ばかりになってしまった!まあ何とか抗っていきましょう。


さて、この何ヶ月かは音楽カルチャーで共有される物語と設定した、


この「正義も悪もない」「クソみたいな社会で」「右も左も関係なく」「好きな事だけやって」「みんなで」「生き延びよう」!


という文章の解体、考察を続けてきました。やってみた自分の印象としては、様々なレトリックでとにかく民主主義の責任から自由になろうとする文章であり価値観であると思います。


正義(公正)、主権者、政治思想、政治権力による抑圧などの概念を無いものとし、それらが要求する責任からの自由を可能とする価値観。いつまでも子どもでいられる価値観にも思えます。魔法みたいですね。ドラッグの様にも思います。


ですが、その責任からの自由とは民主主義からの自由でもある。民主主義を選んだ社会の中で、反・民主主義の価値観を内包する集団として形成されるに至ったのが音楽カルチャーでは無いでしょうか。それは既存の価値観に疑義を呈する意味ではカウンターカルチャーの側面を持つと思いますが、政治権力が反・民主主義の指向を持つ状況では話は別です。それは自由の様に見えて自由では無い。擬似的な、バーチャルな自由だと思います。


これらは音楽カルチャーのみでなく、社会の広範に根付いたサブカル全般に言える事だと思いますが、自分の考えではやはり音楽カルチャーはその拡散力が違うと思います。拡散する媒体の多様さ、影響を与える時間と空間の多様さにおいて、より生活と密着していると思います。いつどこで何してようが鳴ったら耳に入ってしまうし。


特に自分が注目するのは、音楽カルチャーとリアルである地域社会との結びつきです。音楽を演奏する場所があり、演奏する人々がおり、それを聴きにくる人々がいる。そこにはリアルなコミュニティが形成されます。コミュニティはコミュニティの生存を計る為、価値観やルールを作り出します。暗黙の了解と言われるものですが、暗黙と言えど実際には皆エスパーでは無いので言葉が使用されます。そしてその言葉はバーチャルな「物語」から選ばれたものである。と言うか選ばざるを得ない。というのが自分の考えです。


これらが何を生み出すかと言うと、「文化」です。音楽という多層なカルチャーの様々な領域で、私達…いや私は自由を求めて反・民主主義的な文化を生み出す事に加担していたのです。民主主義に意識的で、しっかりと声をあげる音楽家はずっと存在していた。その人達の声に耳を傾けるべきでした。反省しかありません。


ですが今、少しずつその文化が変わり始めている様にも感じています。自分が意思表示を始めた頃より更に多くの人々(勿論ミュージシャン含む)が声を上げ始めています。自分もそれらの人と共に立ち、市民として、音楽を愛するものとして抗い続けたいと思います。


次回からはこの考察に至る過程で参考になった本などを紹介していこうと思います。


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