2026/05/24 06:38

多くの人や識者が言っていた通り、連休明けからものすごい勢いで値上げラッシュが始まりました。家計にも厳しいですが、何よりあらゆるものが値上がりしていくその様自体が恐ろしいです。しかもこれは止まらないし、この後は物自体が無くなっていく恐れがあります。そうなった時の社会状況も又、その貧困化に見合った社会状況になるでしょう。これが私達の望んだ未来だったのでしょうか。子ども達にハイどーぞと手渡すに値する社会なのでしょうか。


と、書いてみたところで自民に圧倒的な議席を与えたのは日本国民なので、やはりこれは日本国民の選択ではあります。先の選挙では経済界から高市政権に対し異例の懸念が表明されていたにも関わらず、自民を大勝させたので。


今頃になって毎日新聞などの大手が、今の経済状況に関して高市政権の批判を始めましたが、個人的には日本国民には響かないと思います。ファシズムには例えば軍事独裁政権の様に暴力を背景にしたものもありますが、「合意独裁」と言われる、国民が支持する事で成り立つものもあります。私は日本は既に後者の状況であると思っています。例えば貴方の先輩ミュージシャンも別に文句など言ってないのでは?それはこの状況への賛同としてカウントされてしまうと思います。できれば意思表示して欲しい…と思いながらも、とにかく自分ができる事をしていきます。そして家族を守っていかねば。


さて、

この「正義も悪もない」「クソみたいな社会で」「右も左も関係なく」「好きな事だけやって」「みんなで」「生き延びよう」!


という音楽カルチャー周辺でよく聞く言葉を繋ぎ合わせた物語の解体、今回がラストの「生き延びよう!」です。これホントよく目にするんですよね〜。「楽しもう!」とかもバリエーションだと思います。さあ始めてみます。


まず、この物語を共有する「みんな」は、「生き延びよう」と鼓舞する必要のある状況に身を置かれています。ここから「私達は何者かから生存を脅かされている集団である」という認識が伺えます。では一体何から生存を脅かされる、どの様な集団なのでしょうか?


戦争でミサイルに命を脅かされる被侵略国の国民集団?軍事政権から命を脅かされる、反政府集団?差別者から命を脅かされる被差別者集団?少なくとも自分はどれにも該当しません、今のところ。


しかし、以前は自分も「生き延びよう」と思ったり表明したりしていたと思います。振り返れば確かに、意志を持って「楽しんで」いないと潰れてしまう様な焦燥感はあった様に思います。又、自分は少数派(マイノリティ)である、とも。実際には全然多数派のマジョリティであるにも関わらず、何か生き苦しく、抑圧を感じていた…そんな所では無いでしょうか。


これは政治を見れば一目瞭然で、この国で長らく政権を握っている自民党は一貫して「人権」を軽視した政治を続けています。パッと思いつく所では、2003年の小泉内閣での労働者派遣法の改正などは、多くの不安定雇用を生み出しました。今の40、50代が20代の若者として生きていた頃ですよね(因みに個人的には、この法改正には外国人の労働に対する国の差別的な制度との共通点を垣間見ます)。ここ数年だけ見ても人権軽視としか言いようの無い法案ばかりで気が滅入ります。


つまり何が言いたいのかと言うと「私達の生存を脅かす敵」とは「私達の人権を脅かす政治」であった、という事です。まあ自民党、と言う事になりますが。


だがその敵の姿が見えなかった(ミスチルなんかも「見えない敵」という言葉で歌っていましたが、自分はこれを音楽カルチャーの「見えない敵問題」と勝手に名付けて呼んでいます)。又は見ようとしなかった。自身の外側にいる抑圧者の姿を正確に捉える事ができたなら、生き延びる為の具体的な行動や表現が選択肢として現れた筈です。


ですが何度も書いている通り、私達は満足な主権者教育を受けていない。更には人権教育も受けていない。生きる為に必要な道具を手渡されていない。これでは暗闇で暗視ゴーグル無しで攻撃を受けている様なものです。いや、自分の何が攻撃されているのか、そもそも攻撃にすら気づかなかったのかも。


更に厄介な事には、例えば労働者派遣法の改正などは「自由」の衣を纏っていました。より自由な市場を、と言う新自由主義に基づくものです。これは「自由」の概念をアップデートしないと敵の姿を見失う巧妙なロジックだったと思います。自由の中に紛れているのですから。


とにかく姿が見えない以上、抑圧は「楽しむ」、又は楽しめる様に自分を「鍛錬する」など自分の内面で自己完結的に解消するしか無い。それは結局、自分が自分自身を抑圧する事に繋がるわけですが。


そして現実の敵に対峙せず、楽しみながら生き延びる為には、その為の物語が必要になる…と言う訳で、意識の中にその物語の舞台「クソみたいな社会」が立ち現れる。まるで同じ場所をグルグルする永久機関の様にこの物語に意識が囚われてしまう。これが数回に渡って解体してきたこの物語の本質であると私は思います。


私自身が問題に思うのは、この物語を内包する音楽カルチャーは、その特性として単に内包に留める事が不可能である、という所です。その辺りを次回にまとめてこの解体シリーズを締めようと思います。


1番長くなったかな〜。音源発売中。