2026/04/13 11:28

余りにも生活が忙しく、ライブの用意もあり、又政治状況も最悪でドタバタしていた為めちゃ久しぶりの更新です。まあ無理せずいこうと思います。


しかし凄い状況ですね。高市はトランプとの会談で何を約束してきたのでしょうか?…と書くのも白々しいほど改憲に前のめりです。「憲法改正は死活問題」とか「時は来た」とか。元々、悪くない関係だったイランと交渉すれば原油も入ってくるだろうに、アメリカの為に戦争する事を優先しており、このままだと今後は戦後見た事の無い社会が私達を待っています。小泉なんかも狂気じみた軍拡に舵を切ってますよね。


ですがそれに対する国民の側の抵抗も(社会運動に触れる様になって僅かの自分から見ても)見た事の無い、新しいステージに突入していますよね。全国で、これまでに無いスタイルの、これまでに無い人々の集まりが盛り上がっています。問題はほぼ完成している日本社会のファシズム状況で、メディアでも殆ど知らされず、寧ろ現政権の広報と化しています。これからどうなるのでしょうか。とにかくできる事をしていくしか無い、という感じです。


さて、時間が空いてしまった前回からの続きを。前回は音楽カルチャーの内包する物語として抽出した


この「正義も悪もない」「クソみたいな社会」で、「右も左も関係なく」「好きな事だけやって」「みんな」で「生き延びよう」


この中の「正義も悪も無い」に隠された、正義(公正)の概念を不可視化するカラクリに迫ってみました。今回は続く言葉である「このクソみたいな社会」です。これはどちらかと言えば「このクソみたいな世界」の方が頻繁に目にするかも。


クソみたいな社会、全く同意です。本当に酷い。特に引っかかる部分も無さそうな…と思いそうですが、この言葉の前後に架かる、論理の橋渡し的な重要な言葉だと思います。


前提としてある「正義も悪も無い」社会を(クソみたいに)酷い状況であると捉えるのであれば、正義を存在させる側に立てば良い訳なんですが、寧ろその社会への参加の拒絶の宣言(クソには関わらない)として機能している。だからこそ、続く目的「好きなことして」「生き延びよう」に繋げる事が可能になる…と言った具合に。


ここには、この社会の当事者としての主権者意識が完全に欠落しています。無理からぬ事で、私達は教育課程で満足に主権者教育を受けていない為、これは必然であるとも言えます。


主権者であるなら、その属する社会の個別具体的なクソを改善していく責任があるわけですが、私達は「正義も悪も無い」というポストモダンの価値相対主義的でシニシズム的な(そして勘違いな)前提に誘導され袋小路に落ち入る回路が完成しています。少なくとも自分はそうであったと認めます。


そこから「好きな事だけやって」「生き延びよう」に逃避、又は「超越」する為には、この社会は取るに足らない、相手にする価値の無い「クソみたいな社会」である必要があった。それをカルチャーに関わるコミュニティで共有する為に、繰り返し使われている言葉なのでしょう。


ですが残念ながらその逃避/超越さえ、既に用意された思想をなぞっているに過ぎないと思うのですが、それを整理する前に次回は「右も左も関係なく」を通る必要があると思います。


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