2026/02/15 09:17
選挙が終わりました。とんでもない結果になりましたね。が、一体どれくらいの人がこの状況を「とんでもない」と認識しているか甚だ疑問です。本来なら、例え自民党支持者であろうと、議会制民主主義を理解している人ならこれは異常な事が起こっていると認識できる筈ですが。もはやそんなゾーンは超えているのだろうというのが個人的な見解です。
さて、今回からは自分が以前から興味のある、音楽とファシズムの関係の考察をしていこうと思います。何の専門家でもない、単にダラダラと20年以上名古屋でライブをし、音楽界隈を見てきた個人なだけなので気負わず書き散らそうかなと思っています。
最初に提示しておきたい前提としての仮説は「日本の音楽とその周辺の言語空間はファシズムを準備している」というものです。特に注目しているのは音楽そのものより(歌もの、インスト問わず)音楽カルチャーで共有される言語空間です。その理由を述べます。
私の主観でしかないのですが、特に00年代以降の日本においては音楽にメッセージを乗せる事は「マナー違反」であるという規範があると思います。政治的、社会的なメッセージを含んだ音楽は今時珍しいですよね。ですが、音楽に限らず、自身の外側からの刺激は必ず受け手側で言語化されます。その意味で音楽からメッセージを抜き取る事は不可能であると考えます。共感にしろ批評にしろそれは言語化され、紙媒体やSNSと言ったメディアにのって社会に拡散されています。
もう一つは、その言語化の中で副次的に生まれる言語です。言わば音楽周辺の言語です。例えばあるライブを賛同する「素晴らしい夜でした!」という言語は音楽カルチャーの中で一種の定型文の様に使われています。ここで私達は音楽が好きで、ライブハウスなどをハブに繋がる緩いコミュニティを確認しあいます。コミュニティに必要なものは共有する価値観であり、音楽周辺の言語はその強化の役割を担っていると考えています。又、この言語空間と価値観には、社会的な事に沈黙する、という消極的な言語の使用(と言うか不使用)も重要な要素であると考えます。
そしてその価値観は概ね「自由」である事に重きを置いたものと考えられます。しかし今、世界で強権を振るう極右政権やその周辺人物の価値観にも実は「自由」が大きな柱になっている面があります。そしてその政権を支持している人々がいる。選挙によって選ばれているわけで、それは疑い様の無い事実です。
日本も今正に連なる状況になっています。この状況に、日本の音楽カルチャーがその言語空間において醸成し、社会に発し続けているメッセージが(も)関係しているだろう。ファシズムが駆動する為の一種の燃料となっているだろう。と言うのが私の立場です。
次回からはもう少しずつ深掘りしていこうと思います。
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